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リモートワークこそ、マネジメントだ

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2020.08.06

2020年春。誰もが予想しえなかった外的要因によって、急に主役に躍り出たリモートワーク。
皆様も、そして周りの環境を見ても、その浸透ぶりを少なからず感じていると思います。

そんな状況下では、ネットニュースでもこの手の記事を見ない日はありません。
リモートを肯定的に捉え、“活用述”なるものを伝える記事や、逆にリモートワークの弊害を取り上げるものも目立ってきました。そんな中、かく言うこの記事も同じではないか、とお思いになった皆様も多いと思います。

ですが、あえて私が取り上げたいのは、個人の「良い」「悪い」の感覚や、個人が上手くリモート環境と付き合っていくための捉え方ではなく、部下を含めたチームとして、長期的にリモートと付き合っていくための方法です。

今後文化として定着していくためには、個人個人の考えに依存せず、チームを管理するマネジメントが確実に求められていくと思うからです。

さて、最近東洋経済さんでこんなタイトル記事を見ました。
「満員電車を日本からなくす」たった一つの方法〜「定時廃止」「成果主義」が多くの労働者を救う
記事の内容が本題ではないので、詳しくは触れませんが、私が気になったのは、その副題にある〜「成果主義」が多くの労働者を救う〜というワードです。

確かに、まっとうな意見です。
「成果主義」であれば、時間に縛られることもなく、自由に仕事ができます。当社でも3月以降、リモートワークを推奨していますが、「いつ何をしているかわかるように」「成果物の報告を徹底すること」という管理が付いて回ります。

これは、管理上とても正しいことです。
しかし、私は思うのです。より「成果主義」が求められるこの時代において、会社からのお達しだけを鵜呑みにして、真面目なマネジメントをすればするほど、管理のための管理で時間を費やすことになる、と。本当に「成果主義」で働く人たちを救うためには、工夫が必要です。

私は、教育企画部門で仕事をしています。
半分は研修時間として、あらかじめ計画した、決まった時間で過ごすことになります。「成果主義」には大変明瞭な時間の使い方です。
そして、他の半分は、情報整理や教育の企画・改善といった、一般的には“見えにくい時間”です。

“見えにくい時間”の、ある1日を挙げてみると、「研修の受講レポートを読み込み、今後の研修のヒントを見つけていました」や、「新しい伝え方の概念がボヤっとしていたところを上手いことまとめてみて、一度光がみえたのですが、やはりまた新たな靄がかかり、暗礁に乗り上げました」など、他人から見たら「それって仕事?」といわれるような表現だと思います。

私も、上司から“今すぐ今日の成果報告をせよ“といわれたら、「?」と思われることを懸念し、上記の曖昧な部分ではなく、【研修企画】などそれっぽく概念化してみたり、【研修受講履歴管理】など他の定型タスクをメインに打ち出した報告にしてしまうと思います。

「明確な作業報告」をすることで、”見えない時間”の、これらの名前も付けられぬ、しかしながら私にとっては大事な領域を守っているといっても過言ではありません。

そこで私はふと思ったのです。「私は何から、何を守っているのだろうか」と。
それがさっき書いた「管理のための管理で時間を費やす」ことに繋がります。


なぜ目先の成果が欲しいのか、管理の罠 

さて「管理のための管理」と私が先ほどから申し上げていることが何かというと、さぼる人がいることが前提の管理だといえます。すでに信頼関係が成り立っている間柄においては、必要以上の管理や、一律の管理は、正解ばかりではないということです。

「いやいや、管理はしすぎて別に悪いことはないんじゃない?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、私は、これをきっぱり否定したいと思います。
何故なら管理ための管理では、「さぼる」という疑いを晴らすためだけの「成果」に成り下がるからです。

私自身の成果報告に潜む矛盾を思い返しても、痛むところがあります。この先結びつくかわからない種より、誰にでもできるタスクを堂々と報告するのです。

これは、まさに、「私ちゃんとやってました」アピールに他なりません。これを繰り返すと、きっと「作業」を探す人になると思うのです。これは私のいる企画部門にとって、非常にもったいないことです。


ある日のできごと 「叱る」

以前、私がコールセンター内でSVとして務めていた時のことです。
今自分で振り返っても、私は成果主義的考え方を持っていました。(根っこは今も同じだと思いますが)。

プロセスは大事だけど、結果が付いてこなければ意味がない、そして結果がついてくればみんな楽しく、さらにやる気になるのではないか、という考えです。チームをまとめる立場にあった私は、時には一人でどんどん進め、その成果によって皆を引っ張ろうと必死でした。

ある時、私は全員に「叱る」という行為をあえてしました。「毎回なにも意見を出さないなんて、考えてないのと同じだ」、いえ、ここまでひどい言い方はしていませんが、今振り返れば同義です。

叱った後のメンバーは、一度は活性化しました。「叱られないように」と、とりあえず外さない答えをバンバン言うようになりました。
しかし、言わば、みせかけの活性化です。「叱られないように意見を言う」ことがゴールにすり替わってしまったのです。

私は、失敗したと思いました。
いえ正確には、その時は明確な失敗だとは認識できていなかったかもしれません。「なんか違う・・」という程度のことだったと思います。

しかしその時の私は、自分の言ったことを否定することも出来ず、「意見をだせ」といった私に従ってくれたメンバーを、ただ認めることしかできませんでした。

すると、それが正解パターンと誤解され、チーム全員が、空回りの状態になり、誤った方向に意識が向いてしまったことは言うまでもありません。

まさに、相手を信頼せず、成果を強要するような真似をするとこうなる、という悪い例です。
相手の中では考えを熟成させていた最中かもしれないのですが、上司や先輩から「考えてないんじゃない?」という疑いをかけられたとたん、そのマイナスの印象を打ち消すために「とりあえず発信しよう」という行動を優先してしまったのです。期日を優先して考えるのをやめた、とも言えると思います。

この時、メンバーを信頼し、「みんな、毎日それぞれのタスクもたくさんある中大変だと思うけど、集まってくれてありがとう。せっかく集まってもらったので今後のために改善できることをみんなで考えてやっていきたいと思います。●●さんの気付きを中心に進化させるとどうかな?」などと、否定することなく相手を重んじた言い方が出来たら、結果は違ったのかもしれません。


本当の、成果主義とはどうあるべきか  

前項からお伝えしている、さぼらないことを前提に接してみる、について、元MIT教授ダニエル・キム氏の理論を借りると、とても分かりやすく理解することが出来たので、紹介します。


※MITダニエルキム氏の成功循環モデルを元に作成

ダニエルキム氏によると、結果の質・関係の質・思考の質・行動の質 この4つの循環によって組織モデルを考えることが出来るといいます。

しかし、同じ4つのサイクルにもかかわらず、【結果の質】を優先的に考え、結果のフィードバックから入ると、上の図のような悪循環に繋がることがあるといいます。

確かに、悪い結果をFBされると、大抵の人は焦ります。焦りは呼吸を浅くするように、思考も浅くすると私は思っています。これはリモート時代の成果主義において、本当に気を付けたい点です。

さらに前述の理論は、この4つのサイクルの考えはそのままに、スタート地点を【関係の質】にすることで好循環を生み出すという考えを提唱しています。


この考え方は、まさに今のリモートワークのマネジメントでは忘れてはならない考えだといえます。

リモートだからこそ、しっかり管理しなくてはならないが、「成果を報告せよ」→「結果のフィードバック」のサイクルは、悪循環の危惧があることは覚えておきたいと、私も強く思いました。

では「関係の質」はどうしたら良好になるのか、ここについては、私も模索中です。

ただのコミュニケーションでよいのか?ここにも一つ大きな壁がありそうです。そのあたりは、また近いうちにお届けできるよう、私も日々を過ごして参りたいと思います。


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